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右翼と左翼(025)

1973年、東京オリンピック、大阪万博を経て高度経済成長がひと段落した時点で、第四次中東戦争の影響によるオイルショックにより経済成長にブレーキがかかる。世界に広まった1960年代末のベトナム反戦運動のうねりは、アメリカ合衆国中心の大量生産大...
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右翼と左翼(024)

一人当たり名目GDP(ドル) 米国 日本 比率1955年 2,450 270 9.1 1973年 6,276 3,736 1.7 1989年 22,857 25,266 0.9 2025年 89,105 33,956 2.6 ここで、195...
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右翼と左翼(023)

1970年「政治の季節」と呼ばれていた時代、学生では無い日本の労働者は何をしていたか?日本の一般の労働者の大部分は、ひたすら働き、合衆国の消費生活文化に追いつこうとしていた。 日本の高度経済成長は、1973年に終了したが、合衆国に追いつくの...
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左翼と右翼(022)

社会党55年に再統一した社会党は社会主義を目指したが、翌年56年にフルシチョフのスターリン批判。ソ連みたいな国を嫌がる日本国民の中、社会党は、最大の集票装置である総評を確保。労働者利益を第一に自民党と対峙。結果的に日本は「唯一の成功した社会...
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左翼と右翼(021)

自民党この状況下で、自民党の政治家は 外交、国防については、米追随してれば良かった。「親米」「反共」の看板さえあげておけば イデオロギーなど不要。自分の選挙費用と、票を集める企業経営者の利便を、他の自民議員と調整だけすれば良かった。
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左翼と右翼(020)

60年代末の全共闘運動は、反安保と言うよりはパリの5月革命を先鋒とする 世界的な、米国のベトナム戦争反対運動の日本版とも言える。日大、東大等の全共闘運動は、派手に報道されたが、パリの様には労働者と共闘出来なかった。1970年において、大学生...
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左翼と右翼(019)

60年安保闘争。1960年日米安保条約締結をめぐり 強硬採決の自民党に対して 社共、労働者、全学連は、10万人規模の デモ隊で国会を包囲、一部学生が国会突入 と書くと派手だが、突入した学生も「あれ?」と前庭で引き返し、社共も「暴力はX」と慌...
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左翼と右翼(018)

日本共産党 体制派に対して、戦術的に尖鋭な事が思想的にも 「左」と誤解されるのは、いつも世界中で見られる。GHQにより復興した日本共産党は、毛沢東の長征を真似し、山村工作隊を農村に。だが、そこは既にGHQにより農地解放済。1958の六全共で...
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左翼と右翼(017)

朝鮮戦争特需により、焼け跡から復旧した日本は 1955~1973 高度経済成長をとげる。この間の日本政治(国会)は右翼=米:自民党:資本家左翼=ソ連:社会党、共産党:労働者明治維新以来、日本の右翼=反米だったが、自民党=親米、A級戦犯が主導...
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左翼と右翼(016)

日本は、東半球における 資本制経済のショーウインドウとして、軍事的には米軍の不沈空母として 米国から保護されて来た。朝鮮戦争特需によって廃墟から復活した日本の資本制産業は、1973/2/14まで1ドル360円の固定相場により米のマーケットに...