1973年、東京オリンピック、大阪万博を経て高度経済成長がひと段落した時点で、第四次中東戦争の影響によるオイルショックにより経済成長にブレーキがかかる。世界に広まった1960年代末のベトナム反戦運動のうねりは、アメリカ合衆国中心の大量生産大量消費の世界観に対するアンチテーゼであった。また1971年8月15日、ニクソン米大統領がドルと金の交換停止を発表したことで、戦後国際通貨体制であるブレトンウッズ体制の崩壊、ドル・円の変動相場制への移行、1972年のニクソンの訪中による米ソ2極構造の変化等、この時代には世界が大きく動いた。
1973年の、米国の一人当たりGDPは 6,726ドル、日本の一人当たりGDPは 3,736ドル、ソ連の一人当たりGDPは 1,788ドル(1970年)であった。米ソの一人当たりGDPの差は3.8倍にもなり、経済的には勝負はついていたとも言えよう。しかし1973年はベトナム戦争で米軍が敗北した年でもある。つまり2つの大国の覇権争いと言う世界秩序の崩壊の年だったとも言える。
こうした世界の中で、日本でも高度経済成長、大量生産大量消費の潮流に対する疑問、公害等に対しての反省により日本が少し立ち止まるタイミングでもあった。同時にエネルギー大量消費に対する反省もあり、これまでの米国の大量消費生活に対して日本独自の省エネ技術が発展する事になった。これは大型車ばかりの米国産自動車に対して、日本の経済的な小型車が米国で売れる様になる時代へと繋がる。

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