一人当たり名目GDP(ドル)
米国 日本 比率
1955年 2,450 270 9.1
1973年 6,276 3,736 1.7
1989年 22,857 25,266 0.9
2025年 89,105 33,956 2.6
ここで、1955年、1973年、1989年、2025年の日米の一人当たりGDPを見て行こう。
1955年、第二次大戦の敗戦から10年、日本は一面の荒野から朝鮮戦争の特需で復興の足音が聞こえてて来た頃である。当時の日本の一人当たりGDPはわずか270ドル。米国の1/9でしか無い。 冷蔵庫、洗濯機、TVと言った家電の影さえない時代であった。米国の家電を真似して日本の家電を作っていった時代である。一人当たりGDPの日米格差は日本の人件費の安さとなり、米国への輸出品は「作れば売れる」時代であった。
1955年~1973年の18年間で、日本人の一人当りGDPは、270ドルから3,736へと14倍にも増加している。単純に計算すると年間に78%の経済成長である。これが18年間も続いたのである。これは「奇跡の経済成長」と言っても過言では無いであろう。
これが無策な自民党政権が続いてきた原因である。国家運営において基本となるのは、まず第一に経済政策であり、それを土台としての外交・国防が国家運営上の重要項目である。
この時期の日本においては、生産面では米国に対して輸出すれば良かったのである。個人当たりのGDP≒人件費が9倍以上の差の日米関係の下では日本製の商品はいくらでも売れた。(最初は安かろう悪かろうであったが、次第に良いものが作られる様になっていった)最初は繊維等の軽産業から、電化製品等、バイク等にまで輸出品の範囲は広まっていった。
さらに「中流階級」を目指す人々にとっての消費生活のお手本は、米国のTV番組「奥様は魔女」等によって示されていた。そうした番組に出てくる洗濯機や冷蔵庫の家電を安く真似して作り、米国に輸出して、その利益で自分の家庭にもそうした家電を購入すれば良かったのである。そして外交や国防においては、米国に頼り切っていれば良かった。米国も第二次大戦で自国を苦しめた日本軍の復活を阻止したかった面もあった。
第二次大戦直後~朝鮮戦争の時代の日本にとっては、平等vs自由、親米vs親ソ、と言った考えは一定のイデオロギー的対立という意味もあった。誰かの過食が誰かの餓死に結び付く時代であった。第二次大戦後のソ連の脅威的な重工業の経済発展は、その成長速度で米国を凌駕する様に見えた。こうした米ソ冷戦構造の下、日本の国会は、米国に依存する「反共」自民党=産業界と、平等を訴え、社会主義を目指す社会党=労働者の対立図式になった。
しかし、1955~1973年の高度経済成長の時代の中で、1956年のフルシチョフのスターリン批判もあり、社会党も本気で社会主義体制への体制変革を目指すよりも、労働者の権利の拡大を目指して行く形になっていく。経済成長によって日々の消費生活が豊かになる中で、大多数の人々は現状維持を肯定していく。自民党の「反共」は次第に米国からの有利な条件を求める為の手段になっていく。次第に米国がソ連に比べて優位に立って行く中で、米国自体でも「反共」が自らの利益誘導の為の手段となっていく。

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